北方領土に人が住みだしたのは、各地の遺跡などからみて数千年前からと考えられています。北方領土に住んでいたアイヌの人々は江戸時代の初め頃から松前藩と交流を始めました。
その後、南下するロシア勢力の勢いが強くなったため幕府は北方領土を直轄地にし、漁場や陸路、海路を開き、島々を開拓しました。南下を続けるロシアとは1855年(安政元年)に下田で「日露通好条約」を結び、その結果、択捉島から南の島々は日本の領土に、ウルップ島から北の島々はロシアの領土になりました。
明治時代になり、北方領土の開拓がいっそう進むと人口も増え、大正時代の終わりには町村制も整えられています。第二次世界大戦終了時、北方領土には2万人近い日本人が暮らしていました。
このように、北方領土が外国の領土であったことはなく、このため「北方領土は日本固有の領土」と言われるのです。
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